弁護士の窓からBlog

被告人の防御権と被害者のプライバシー

最近のニュースで、検察官が強制わいせつ事件において被害者の氏名を起訴状に記載しないまま起訴するケースが報道されています。 被害者の氏名が被告人に知れると、被害者が被告人からの二次被害を受けるおそれがあるというのがその理由です。

 

起訴状には、公訴事実といって、被告人が、いつ、どこで、誰に対して、どういう犯罪行為をしたのかということが、5W1Hの形で記載されます。この点、刑訴法256条3項は、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と定めています。このように訴因(=公訴事実)が特定されていない場合には、刑事裁判の手続きに違反したということで公訴棄却となり、被告人に有罪が言い渡されないまま刑事裁判は打ち切られてしまいます。 これは、講学上、訴因の特定といわれる問題です。

 

では、何のために訴因を特定しなければならないのでしょうか。

それは、基本的には、当該刑事裁判においてどの事件を審理するのか、その審判対象を確定することにありますといわれています。審判対象が明らかになることによって、裁判所もどの事件について証拠に基づいて認定すればいいのか分かるし、被告人もどの事件について裁かれようとしているのか理解できるし、有効な反論もできるというわけです。このように、訴因の特定は、第1次的には審判対象の確定のためにあるものと考えられますが、そこから派生して、被告人の防御の権利を保障するという機能も有していることになります。

このような審判対象の確定という観点からすると、強制わいせつ事件のような個別の被害者のある事件については、刑訴法上、誰に対して犯罪を行ったのかを特定すべきということになります。例えば、「被告人は、平成○年○月○日、××において、とある日本人にわいせつな行為をした。」という事実で起訴されても、日本人というのは日本に約1億2000万人もいるわけですから、「とある日本人」が誰なのかが特定されていなければ、これから何の事件が審理の対象になるのかが明らかになりません。また、被害者の特定ができていなければ、仮に検察官が被害者を間違って起訴しても、裁判所も被告人もこれに気付かないまま、あるいは有効な反論もできないまま、裁判が進行することになります。これは、冤罪の温床ですし、被告人の防御権の重大な侵害です。

このように、強制わいせつ事件のような個別の被害者のある事件については、法律上、「地球上に人は多数存在するけれども、今回の事件の被害者は、他の誰でもない「この人」である」という意味での被害者の特定は必要不可欠であると考えられます。その被害者の特定として最も分かりやすい方法が、起訴状に被害者の氏名を記載することであり、このような方法は、今まで一般的に行われてきました。

 

しかし、起訴状は、必ず被告人に送達されるため(刑訴法271条1項)、起訴状に被害者の氏名を記載すると、被告人に知れてしまいます。これが、被害者の方々が二次被害を恐れる所以です。 そこで、検察官は、ニュースで報道されているとおり、被害者の氏名に代えて被害者の年齢や性別等を記載することで、被害者を特定しようとしたのです。

 

しかし、単に年齢や性別を記載しただけでは、被害者を特定したことにはならないと思います。「女性、20歳」という人は世の中にいくらでもいますし、仮に人違いであったとしても、これでは気付くことはできません。 被害者を特定するには、氏名以外にも、例えば、事件当時のメールアドレス、源氏名、住所等被告人が既に知っている範囲のことで特定するという方法も考えられるところですが、いずれにしても、被告人が理解できる程度に被害者が特定されていなければ、被告人の反論する権利を奪い、ひいては冤罪を引き起こしてしまうことになるのではないかと思います。 他方、被害者の方の二次被害を防止することももちろん重要なことですが、その点を重視するあまり公訴棄却になるようなことがあってはいけないと思います。適正に裁かれるべき被告人が裁かれないという著しい不正義を生むことになるからです。被害者の二次被害の問題については、被害者の現在の居住先等を被告人に知られないよう、裁判所、検察官、弁護人が事前に打ち合わせをすることにより解決すべきなのではないかとも思います。

この問題は、刑事裁判の根幹にもかかわる重要なテーマですので、今後も注目したいところです。

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